ヨガという可能性

ヨガはとても一言では表せない広いものがあります。
始まりは何千年も前、それこそ言葉があったかもわかりませんが
そこには教えの元の始まりがありました。

ヨガは全てと個の存在は同じだと言います。
それを明確に言い切っている聖典があり
今もそれが受け継がれ伝えられ
多くの人の助けになっています。

今の社会は科学的な根拠を求められることが好まれる傾向にありますが、
それでもヨガがこれほど受け入れられるということは
それだけ多くの人が様々なことを意識上にあげてきているのではないでしょうか。

それは問題として上がったり
気づきとして上がったり
痛みとして
喜びとして
悲しみとして
意識に上がるかもしれません。

それをどう捉えるのか
どう見ていくかによって
その対処が変わってきます。

その問題としているところを
自分の視点を変えて違うところから見たらどうでしょうか?
喜びを悲しみを
ただ起きることとして見ていかれたらどうでしょうか?
痛みはただ凝り固まっている何かだとしたら?

この世界に生まれてどう生きていくか
どう自分と体と人と付き合っていくか
生きていく上で避けられないことです。

ヨガは存在と体、思考と心と体・・など
明確に語られてきていない
見ようとしていない
でも気になっているところへと意識の光を当てて
見始めていきます。

悩みの種が実は意図的にではないにしろ
自分の作り上げた制限とわかった途端
それが自分のものではなく誰か知らない他の人のものだとわかった途端
問題が問題ではなくなり
悩みがなくなり
軽やかになります。

ヨガの持つ可能性
体の可能性
人生の可能性
・・・・
広げてみませんか?

こうだと思ってしまうとそのような現実になります。
それをいいように
この世は可能性なんだと思ってしまいませんか?

この全てある豊かな世界に